私の仕事探し(連載第12回) 音楽、そして仕事に対する姿勢…

 今回は趣味の話。でも、きっと仕事についての重大な話だと思う。最終回にはこのエピソードをご紹介しようと、ずっと前から思っていたのです…。

芝居に入れあげていた私の20代

 私は29歳になる直前に結婚しました。結婚前の20歳~28歳までは、あるアマチュア劇団の裏方をしていました。アマチュアなので、昼間は仕事をして、夜が稽古です。私自身は役者は一切せず、裏方の何でも屋でした。衣装も縫うし、公演パンフやチラシも作り、大道具の色塗りもし、当日の受付、役者へのお茶出し、オバケのメイクをしてしまって外出できない役者のために、タバコと栄養ドリンクを買いに行くことまで…。
 さてさて。私の入っていたアマチュア劇団は、ミュージカル『冒険者たち』に挑んでいました。原作は児童文学で、テレビアニメにもなりましたし、劇団四季も、昔、ミュージカル化して上演しています。ドブネズミたちがイタチと戦う話です。
 最初は、プロの作曲家に劇中歌を依頼したのでかなりのお金がかかり、ほんの数曲しか作れなかったのだそうです。好評で再演することになって歌を増やしたい、でもプロには頼めない…。

劇中歌の作曲に挑戦

 ある日、劇中歌を作らないかと電話がかかってきました。私はキーボードが少し弾けることは話していましたが、作曲ができると言った覚えはありません。自己流でメロディーを作ってみることはありましたが、楽譜もろくに書けません。
 しかしもちろん私ですから、「あっ、やるやる! やらせて」と引き受けてしまいました。苦労して何曲か作りました。劇団は、ふるさときゃらばんのバンドに演奏を依頼して、伴奏テープを作成することにしました。
 ふるさときゃらばんは、全国を回る有名なミュージカル劇団です。農村的風景をテーマに笑わせたり泣かせたり、次はサラリーマンへの応援歌的作品だったりで、日本中にファンがいます。
(結婚以来、芝居を見るということがまったくなくなってしまったので、ふるさときゃらばんや、そのバンドが今どんな活動をしているかはわかりません。これから書くことは、あくまでも10年前の話です。)
 ある劇団から枝分かれして新しい劇団ができることは、よくあります。私のいた劇団とふるさときゃらばんは、もともと同じ劇団を根っことして生まれたので、交流があったのです。私たちは、録音当日、ふるさときゃらばんの音楽スタジオを訪問しました。

スタジオの空気が濃すぎる!

 ついでだからプロの先生が作った曲も伴奏を作り直してもらおうと、まずそれらから演奏・録音が始まりました。いささか凝った作曲なので、ぶっつけ本番の演奏は手こずり気味です。バンドのメンバーは多忙で、事前に楽譜を見たり練習したりする時間がなかったのです。
 なんとか片づいて、その後は私が作った曲。昔のアニメソングを手本に作ったので、メロディーもコード進行も非常にシンプルです。録音はどんどん進みました。
 が。が。が。私は倒れそうでした。「そこのキーボードで、ガイドとしてメロディーを弾いて」と言われ、バンドのメンバーと一緒に弾いたのですが、これが楽ではないのです。
 単純なメロディーですし、自分で作った曲ですから、それを片手で弾く分にはもちろん間違えたりはしません。でも、メンバーのテンションが高すぎるのです。ものすごくあおられるのです。スタジオの空気は、私がまったく体験したことのないものでした。

すぐイメージをつかめる人たち

 「次はこんな曲」と、私が両手で弾きます。デモテープならぬデモ生演奏です。途中から、何の打ち合わせもないのにバンドのメンバーがそれぞれに演奏を始めます。終わると、リーダーがメンバーにさっと指示します。「リズム、こっちにしてみて。前奏は4小節、コードはこれ。和音、こんな感じでいける? よし、じゃあ行こう。テイクワン」
 それで直ちに本番の演奏が始まるのです。そしてあまりのテンションの高さに、ただ片手でメロディーを弾くだけの私が振り飛ばされるというわけです。
 地下のスタジオなので防音も完璧、その代わり断熱も完璧で、わずかにかけているエアコンが冷えること! かといって、エアコンを止めると、あまりの熱気と人の多さで、たちまち汗がだらだら流れます。半日の録音で、そのあと丸1日、私は激しい頭痛に悩まされました。
 午後、できたばかりの未編集テープを持って、私たちは稽古場へ行きました。祝日か何かだったのかもしれません。「この曲は…えーっとどれだっけ? テイクツーを生かすんだったかな。よし、出すぞ、歌ってみろ」演出家が役者に指示します。新しい伴奏が流れ、…えっ?

役者の声を引き出す仕事

 すごい。うちの役者たちがこんなに歌がうまいとは知らなかった。こんなにいい声だったとは知らなかった。いや、実のところ彼らはさほど歌がうまくないし、特別いい声でもないのです。偉い作曲家の先生がピアノで弾いてくれた伴奏とは違って、ふるさときゃらばんのバンドの演奏は、役者の声を引き出す力があるのです。
 ふるさときゃらばんの舞台は生演奏です。バンドのメンバーは舞台の上で演奏し、劇中歌も歌います。舞台に必要な演奏がどんなものか、知っているわけです。ど素人の私を振り飛ばすぐらいのテンションがなければ、役者の声を引き出すこともできないし、お客さんを乗せることもできない。そういう演奏だから、生演奏でない録音テープでも、役者たちは歌い終わって目を輝かせて叫んだのです。「歌いやすい!」
 ろくなギャラが払えるわけでもないアマチュア劇団用の演奏に、彼らは100%の力を出したわけではないと思います。それに、通常のバンド、いやクラシックでさえ、スタジオ録音よりライブの方がテンションが高いものです。アップテンポな曲はライブの方がさらにアップテンポだったりします。
 ギャラがどうのこうのを考慮に入れなくても、彼らは舞台の上で生演奏する場合、もっとハイテンションなのだろうと思います。けれども、7割の力?でも、私を打ちのめす演奏、役者を強力にサポートする演奏ができるのです。

いい仕事とは何か

 この体験以来、私は考えるようになりました。いい仕事とは何か。いい仕事をするためには何が必要なのか。
 スタジオが暑い、寒いとうろたえたのは私だけで、メンバーは「ああ、暑いね」という調子でした。集中力が違うのです。事前の練習もなく、曲を聞いて直ちにイメージをつかみ、自分のパートの演奏を決めています。そしてリーダーの指示があればすぐ直しています。それだけの技術と経験があるのです。しかも、7割の力でハイテンション。そして、芝居の音楽に何が必要なのかを知っている。
 どれもこれも、どんな仕事にも応用できることではないでしょうか。

クライアントの希望をイメージする

 例えば、今、私のテープ起こしの仕事はほとんどが直受けです。出版社からの仕事の場合は、先方がプロですから指示も明確ですが、普通の会社の総務部や、市役所の人が講演のテープ起こしを依頼してくるなどの場合、先方はテープ起こしの実際のことをまったく知りません。
 私は、クライアントによって微妙に起こし方を変えています。明確な指示がなくても、電話やメールのやり取りからイメージをつかんで、相手に合わせたデータを作りたいなと思っています。ただ、実際のところどの程度成功しているかは、まったくわかりません。たいていリピートで仕事が来ますが、単に、ほかに出す人を知らないからまた私に来る場合だって多々あるわけで、気に入ってもらえたと考えてはいけないだろうとは思います。
 クライアントによって起こし方を変える基準は、起こしたデータがその先何になるのかを想像することです。何に使うのかとざっくばらんに聞ける相手もいれば、あんまり突っ込んだ質問はしない方がよさそうなクライアントもいて、何になるのかは想像ということも多く、うまく行っているとは限りませんが…。

後工程が楽になる仕事を

 役者の声を引き出す仕事とは、すなわち、後工程が楽になるような仕事、ということになります。一字、一言まで忠実に起こす仕事もあれば、ケバ取りという言葉をかなり拡大解釈してムダを削っていい仕事もあります。どうせ強力にリライトするから、語順が違おうが言い回しが多少違おうが、意味が通っていればかまわない、という仕事もあります(←これはクライアントから直接請けるからできることです。登録で仕事をする場合、こういう起こし方は普通できないようです。)
 表記の統一なんかどうでもいい、無理に人名その他を調べなくてもいい、聞こえた通りにカタカナにしてくれれば十分という仕事もあります。これは本になる仕事でした。ライターさんが好みの表記に変えるわけです。ライターさんはその道の専門家で、表記不明の変なカタカナでも見ればピンとくるのです。表記や調査に時間をかけず、その分1分でも速く起こして納品してほしい。そういう仕事もあるのです。
 それでは私のプライドが許さないと時間をかけるのは、むしろこの場合「悪いこと」の部類だと思います。

やっかいごとの中で集中力を維持する

 7割の力で、しかるべき品質を保つ。これは、仕事をしていく上では絶対必要なことです。半日で振り飛ばされて、その後1日頭痛がおさまらない…などということでは、仕事になりません。在宅入力者は、毎日毎日同じような仕事に取り組んで、何年も続けていかなければなりません。ある1日、ある1つの仕事に全力投球してしまって、疲れ果てて次の仕事にかかれない、などということでは続きません。
 そして、集中力を保つのは大変なことです。暑い。寒い。家族とケンカした。セールスの電話に邪魔された。単調なデータに退屈した。複雑なレイアウトに疲れ果てた。やっかいごとはいろいろあります。でも、そのつど振り回されて品質が落ちるのではなく、どういう状況でも安定した力を出せることも実力のうちかもしれません。
 数百件のデータ入力を終えて校正していると、ミスは常にかたまっていることに気づきます。ノーミスが続くページは、本当にノーミス。ミスが出始めると、立て続けにミスだらけ。明らかに、そういうところは、入力時の集中力が落ちていたのです。

目標はあんな仕事!

 ふるさときゃらばんのバンドとの体験の後、劇団はまたオリジナルミュージカルを上演しました。今度はすべての曲を私が作詞作曲しました。その後、また別の作品で、今度は作詞作曲に加えて、舞台上で生演奏しました。ヘタはヘタなりに、なんとかなるものです。
 私は楽譜を書くのが苦手、役者は楽譜を読むのが苦手。新曲を作ったら、まあ一応楽譜を渡しますが、私がキーボードを弾きながら歌うのが一番手っ取り早いのです。私が役者をしなかった理由は、子どもの頃、声をからかわれることが多かったからです。しかし、稽古場で歌ったりする経験を積み重ねるうちに、人に声を聞かれることにさほど抵抗がなくなってきました。
 それで、結婚・出産後に勤めた入力会社では、在宅さんに仕様の説明をすることができたのです。やはり最初は声がふるえて困りましたが、数をこなすうちに慣れました。慣れも実力のうち、仕事を積み重ねること自体が力になるのです。
 在宅ワークを始めて以来、仕事内容はさまざまに変わりました。でも、ふるさときゃらばんのバンドみたいな仕事を!という目標は、いつも変わりません。