私の仕事探し(連載第8回) グループワークと在宅入力者の分類

コンピュータの誤作動で全世界がパニックになると恐れられた2000年1月1日は、別段のトラブルもなくやってきた。夫は「飲み水だけは確保したほうがいいらしいよ」などと聞きかじってきたが、結果はな~んの対策も立てず平然としていた私の勝ち。2000年問題って、結局何だったんでしょうか…。

短かったグループワーク時代

 前年初夏に結成された、A社に登録するためのグループから、私は早くも抜けなければならなくなりました。メールマガジン『テープ起こしてんやわんや』の創刊をきっかけに、出版社からテープ起こしの仕事が複数来たこと、そしてそれが継続したこと。T社のワードの仕事が切れ目なく大量に入ったこと――などがその原因でした。
 短い期間でしたが、このグループワークから私はいろいろなことを学びました。特に、グループのリーダーとなったYさんに学ぶことは多かったのです。
 A社では、仕事はクライアントから直接グループのリーダーに出されるのが普通でした。クライアントがA社に原稿を宅配便で送り、それをA社がグループリーダーに送っていては1日損になるからです。同様の理由で、納品もリーダーがクライアントに直接データを添付してメールを送り、原稿もクライアントに返送します。A社にはグループの誰が何件入力したかをファックスしておくだけです。支払いはA社からなされます。

しっかり者のリーダーYさん

 リーダーYさんは、クライアントからメールに添付されてきたひな形ファイルを人数分のフロッピーにコピーして私たちに配りました。そのとき「ウイルスチェックはしてあります」と一言。
「ええっ、クライアントから来たファイルまで疑うなんて!」と当時の私は驚いたものでした。しかし、クライアントといえども、知らない間にパソコンがウイルスに汚染されていることがないとはいえません。自分と仲間のパソコン環境を守るためには、添付ファイルはウイルスチェックしてから開くのは当然です。
 私は今、本誌の会員さんが送ってくれる「ワードレイアウトにチャレンジ!」や「リライトにチャレンジ!」のファイルは、すべてウイルスチェックをしてから開いています。ちなみに、会員さんからの添付ファイルは、今までウイルスチェックに引っかかったことはありません。
 Yさんの入力の速さ、仕様を把握する確実さ。クライアントに対するメールの文章のていねいさ。私が登録型ワーカーから独立型ワーカーへと移行していく時期に、Yさんのような入力者に出会えたことは大変勉強になりました。

ファミレスでは和気あいあいだったのだけど

 しかし、このグループワーク経験以来、私はグループワークに対する憧れをもたなくなりました。
 第7号に書いたように、このときはフォーラムで仲間を募ったのです。条件は手渡し可能なかた。それ以外の選考はしませんでした。ファミレスでメンバーの顔合わせをすると、和気あいあいで話がはずみ、初めて会った人のような気がしません。が。が。が。いざ仕事を始めてみると、問題が続出しました。
 手渡し可能というのもその一つです。みんな別々の市の人です。東京の市町村は、比較的面積が狭いのが普通ですが、それでも毎度のことになるとちょっとお互いが遠いのです。手渡し可能といっても、片道1時間以上もかかってしまうのでは――。かといって納期も量も小さな仕事ですから、リーダーとメンバーの間に宅配便を使っていては、納期も報酬も消え失せてしまいます。

やっぱり面接は必要だなあ…

 もう一つの大きな問題は、メンバーにウルトラ初心者が多かったことです。これ以上単純なデータ入力はない、というぐらいの仕事でも、リーダーのところにやたらと質問が入る。あるいは、納品物にたくさんの付箋紙がついていて、納品前にリーダーがそれをいちいちチェックしなければならなかったりしました。
 こんなペースのメンバーは仕事が遅い。仕事が遅いから同じ納期でも少ししか打てない。だから報酬もわずか。本人はやる気をなくしていくし、メンバーが打てない分まで引き受けるリーダーも大変です。
 最初は、あまりにも単価が安いのでリーダーも自分が入力した分だけの報酬ということにしました。けれど、Yさんの肩にかかる重圧と仕事量の多さを見かねた私は、単価の○%をリーダーが取ることをメンバーに提案し、了承を得ました。これで入力者の単価はますます下がります。リーダーにとっても、重圧と仕事量に見合うほどの収入ではありません。
 Yさんの都合が悪いときは、私がリーダーをしました。私は入力会社のパート経験があるので、まとめ作業は慣れています。しかし、入力会社時代は、面接してダメな人は落としていましたし、出してみて見込みがない人には次を出さないという選択もできました。しかも自分は入力をせず、まとめ役に徹することができたのです。グループワークのリーダーのほうが大変でした。

この果てしないピラミッド構造!

 その仕事はアンケートハガキの入力でした。出している大もとは、超一流の大企業です。日本の常識からいって、超一流大企業は、小さい企業や個人など相手にしません。受注したのはおそらく大企業で、自社でこなす気など全然なくて下請けに出し、下請けがその下請けに出しているのでしょう。
「超一流大企業→クライアント→A社→グループのリーダー→グループのメンバー」という流れであってもかなりの階層です。しかし、その仕事の場合、クライアントが超一流大企業から直接受注したとは思えません(クライアントの商号には(株)とか(有)とかが入っていませんでした。つまり会社ではなく個人事業主なのです)。
 間には、最低1社、おそらく2社は入っているものと思われました。「超一流大企業→大企業×社→(ここからいくつかに分岐して)中小企業××社→(さらにいくつかに分岐して)クライアント→A社→グループのリーダー→グループのメンバー」という流れではないかと思われます。
 納期が短いならせめて単価がいいというなら納得もできます。しかし、この果てしない階層を下へ下へと落ちてくる間に、単価も納期も削られきって、私たちの仕事は本当に底辺だったのです。
 これは入力者個人で解決できる問題ではありません。建設業でも流通業でも同じような問題がかねて指摘されています。日本経済そのものの問題なのかもしれません。

誰もまとめ作業をしたがらない

 私だって、リーダーだからとわずかな単価をピンハネするようなことはしたくありませんでした。持ち回りでリーダーを務めることを提案したこともありました。けれど、グループのメンバーはみな、しり込みしてしまいました。教えるからといってもダメです。私だったら、タダで教えてもらえるチャンスを逃がしたりはしないのですが…。データ入力をやるなら、データのまとめは絶対できたほうがいいのですし、その仕事は入力が単純ですからまとめも単純なものだったのに――。
 単価が高いT社のワードの仕事を、むずかしいのはイヤだと断ってしまう人が多かったことを前回書きました。この2つの出来事は、結局つながっているのです。当時の私は、そのことに憤慨しました。「本当に入力者としてやっていく気があるの? そういう人が多いから、業界全体の信用が下がるんじゃないの?」

大企業には無理な仕事

 仕事が降りてくる階層が巨大なピラミッドになってしまい、入力者の単価が下がる一因は、大企業が入力者の管理をしたがらないからです。入力者の管理は非常に面倒な仕事なのです。
 電話をしても「今週は用があるので」「そういうむずかしい仕事はちょっと」「半分ぐらいならできます」と自分の都合ばかり。半分ならできると恩着せがましく言われても、5人に出す仕事を10人に出すことになれば、あとで伝票を整理する経理担当者の仕事は、倍にふくれあがるのです。5人に電話すればいいと思ったのに、断わる人や「半分なら」の人が多いと、その3倍の人数に電話するはめになったりするので、ますます社内的な経費がかかります。
 ここまで利益が薄く、手間ひまかかる仕事は誰もやりたくない。仕事を受注した企業は、下請けに丸投げです。(仕事はいろいろなので、全部がこんなではありません。こういう極端な階層はデータ入力の仕事に多いようです)。

誰が悪いのか、誰も悪くないのか

 社会の構造が悪いのか、心構えの足りない在宅入力者が悪いのか。けれども、最近、私はこの悲惨な構造をある程度受け入れるようになりました。家にいてできるならやりたい、片手間にできるならやりたいと希望するのも、その人の権利です。
「フリーターなんて不まじめだ、外で働くなら当然正社員になるべきだ」と説いても見向きもされないでしょう。フリーターにはフリーターの価値観があり、働くスタイルがあるのです。フリーターに向かって「生涯賃金が正社員とどのぐらい違ってくるか、老後の安定がどれほど違うか」と必死に説いたところで「それを受け入れた上でこのスタイルを選んだのだから」と返されて終わりです。

残留婦人の子どもが日本社会を撃つ

 私が以前働いていた工場には、「中国残留婦人の子ども」がいました。「中国残留孤児」は第二次大戦が終わったとき親に置き去りにされた人ですが、「残留婦人」は現地の人と結婚して子どもがいたなどで、仕方なく残った人たちです。
 残留婦人も帰国できる政策が進められ、その子どもたちも一緒に日本へ来ました。子どもたちといっても、すでに自分の子をもつ大人ですから日本で働きます。迫害を恐れて、母親は日本語や日本の習慣を教えることができなかったので、子どもは中国人の習慣やメンタリティーをもっています。
 …と前置きが長くなりましたが、私の工場にいた残留婦人の子である女性は、日本の有給休暇という制度に反発をもっていました。わが子が熱を出したら、親が世話をするのは当たり前ではないか。わが子の参観日に出るのは親の義務ではないか。有給休暇の残り日数を気にしながら、しかも正当な権利である有給休暇の範囲でさえ、上司や同僚に気兼ねしなければならないとは、日本は何たるみじめな国なのか。
 遠回しな言い方でしたが、そう思っていることはうかがえました。中国では堂々と休めると聞いて、私たちのほうが考え込んでしまいました。当時の中国は、効率の悪い国営企業ばかりでしたから、そんなこともできたのかもしれません(最近はどうなのでしょうか)。私はその職場にいるとき結婚したので、未婚時代・既婚時代半々ですが、同じセクションには、圧倒的に子持ちの女性が多かったので、みんなショックを受けたようでした。
 子どもの参観日や病気の日に休もうと思えば、有給休暇はとっておかなければならず、自分が風邪を引いても休むことはできません。同僚に嫌みを言われても、セキをまき散らして仕事をしなければ、有給休暇を使い果たしてしまいます。

在宅版正社員、在宅版フリーター

 家で仕事をしたい人にも、そういう(日本的な?)働き方を無理強いするのが、本当に正しいことなのか。家で働く人が、誰もかれもバリバリの起業家でなければならないのか。家庭、家族を優先することが、悪いことなのか。
 フリーターと正社員という働き方があり、私たちはそれぞれの働き方を納得しています。同様に、家で仕事をする人も働き方で分けて、別々の名称をつけることはできないでしょうか。そうすれば、お互いにイライラすることもないでしょう。ゆったりした働き方を選ぶ人が「やる気がない」と非難されることもないし、バリバリやりたい人が、ゆったりタイプと十把一絡げにされて信用を落とすこともない。仕事を出す側にとっても区別がつけば出しやすくなるはずです。
 そんなことを、私はこの時期以来考えるようになりました。それが本号の特集「在宅入力者の分類」につながっています。まだまだ突っ込みが足りていませんが…。
 ともあれ、他の仕事が忙しくなった私は、グループを抜けることになりました。苦労多きリーダーYさんの胃アトニーは、その後も治らないようでした。

 

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