(2008年4月のザイニューWebでの連載を再構成したもの。奥山さんの経歴等も当時のものです)
奥山 助けてくださった女性経営者の先輩もいたんです。地元でスポーツクラブを開いていらした女性経営者の方のところに、ある冊子の取材でお邪魔したら、気に入ってくださって。私にお金がないのわかったんでしょうね。顧問料を振り込んであげるから、月一回ご飯を食べにきなさいって言ってくださったんです。
もちろん、顧問料いただくような仕事は何もできませんってお断りしたんですけど、「愚痴を聞いてくれるだけでいいから」って。結局3年間お言葉に甘えたんです。
その方、3年後に、「会社も安定してきたね、もうそろそろ私の役目はいいわよね」って。
廿 う、うわあ…。その方も地元の方でいらっしゃる?
奥山 地元の方です。ここまで会社が続いて、なんとかやってこられたのは、そういう方たちのおかげなんです。昨年86歳でご逝去されましたが。
廿 それだけ奥山さんにパワーがあるっていうことですけど、それにしても素晴らしいですね。
奥山 あとね、創業当時は3人で始めたんですね。大学時代の同級生と、デザイナーと、私と。2年目ぐらいで私が結婚して妊娠・出産となったとき、片腕だった同級生も国際結婚することになっちゃったんです。
当然私は出産のために休まなければいけないし、その間どうやって仕事を回していったらいいんだろうととても不安だったんですけど、私が産前産後休んでいた半年間、彼女が単身でニューヨークから日本に戻ってきて、会社に寝泊まりして、仕事を切り盛りしてくれたんですよ。
廿 そうですか!
奥山 だからね、本当に生かされてきたんですよ。そういういろいろな人たちの出会いとか厚意がなかったら続いてないですね。
廿 キャリア・コンサルタントというのをやっていらっしゃるでしょう。実はキャリア・コンサルタントがどういうものかも知らないんですけど、それになられた経緯とかは。
奥山 うちから仕事をお願いしている在宅ワーカーの方たちとの関わりが大きかったかな。その方たちが会社に寄ってくれたとき、悩み事を相談されることがよくあったんですね。
私は自分の経験でしか話せなかったんだけど、人のキャリアに向き合う場合には、それなりのセオリーや手法があるんじゃないかって感じるようになったんです。私自身も、キャリア・チェンジがそんなにうまく行かなかったと思ってますしね。
廿 そうなんですか。
奥山 ええ、体力のギリギリまで働いて耳をおかしくするとか、そういうことがあったので。人とキャリアのいい関係を勉強してみたいと思って始めたのが、キャリアカウンセリングの勉強だったんですね。
廿 いつごろからですか?
奥山 4年ぐらい前ですかね。キャリア・カウンセリング(コンサルタント)の資格ができたのが、わずか6年ぐらい前ですから。新しいんですよ、日本ではまだ。
廿 国家資格なんですか?
奥山 今年から、キャリア・コンサルティング技能士という名称で国家検定の資格になるようです。今まではいくつかの民間団体が付与していて、私は社会経済生産性本部の認定資格を取ったんです。
廿 一般的にはどういうところで役立つ資格なんですか?
奥山 ハローワークとか、大学とか。
廿 ああ、大学の就職担当セクションで。
奥山 そうです。私は、資格を取る前に武蔵野大学のキャリア・アドバイザーとして、3年ぐらい就職指導などをしてたんです。そのあとに非常勤講師になったので、大学生のキャリアに関わる機会が計5年ぐらいあったんです。それもキャリアのことを勉強したいという動機になりましたね。
廿 じゃあ、仕事のほうが先にあったわけですね。
奥山 そうですね、導かれるように取ったというか。そろそろ体系的に勉強して、自分の経験論だけじゃなくて、しっかりしたロジックを持って人にアドバイスできるようになりたいなと、それがそもそものきっかけですね。
廿 2月に東京しごとセンターでやってらした「在宅ワーク・再就職のためのカウンセリングコース」は、1対1で面談するんですか?
奥山 グループカウンセリングです。あのときはカウンセラーさんが6名いて、5、6人の小グループでいろいろと話し合って。一人一人自己紹介をし、印象交換をしあったり。
廿 印象交換って何ですか?
奥山 人が見た自分の印象を語ってもらうこと。自分が思っている自分との差異を埋めるということで、印象交換というのをやるんですね。あとは、半年後どうなっていると思いますかとか、自分のキャリア・ビジョンを書いてもらったりとか。カウンセラーによって、カウンセリングのやり方は違うんですけど。
廿 受講されるのは積極的な方が多いんですか?
奥山 そうでもないです。客観的に自分を見てもらいたいと思う人かな。
人とキャリアはやっぱり深いですよね。キャリアのミスマッチ…自分のやりたい仕事と実際に就いている仕事がかけ離れたりすると、それがどんなにいいポジションであろうと気持ちが離れていきますから。夫がそうだったんです(笑)。
廿 お勤めされてたんでしょう? あんまり気の進まないお仕事に就いていらした…?
奥山 大手食品会社にいて、辞める前にはグループ会社の執行役員までいってたんです。でも、自分で将来が見えてしまったって、辞めちゃったんですよ。いろいろな意味で、ずいぶん苦しんでましたね。1年ぐらい苦しんでいましたけど、なんとか拾ってくれたところがあって。
廿 本当は安泰ではあるんでしょう、元の会社にいれば。
奥山 ええ、家庭だって安泰だったはずです! 1年も無職の夫を抱えて、私はホントに大変でしたよ(笑)。
キャリアのミスマッチ。私の今の状態はそれなのだろうか。入力者としての集中力は落ちてきたけど、入力が嫌いになったわけではない。ただし、入力って単線的な仕事だなとは思う。
紙の雑誌の『月刊在宅入力者』を出していたころ、私は一人で取材も執筆もWord-DTPも購読者管理もしていた。月1回の発送作業だけは大勢来てもらって楽しかった。毎号1,000部以上売れて、手応えがあった。そうか、今私が求めているのは、ああいう複合的な仕事なのかもしれない。
奥山 キャリア・コンサルタントは天職だって感じます。普段は書く仕事が多いですから、1対1で人と話すことがまず新鮮ですし。人の魂に手を突っ込むぐらいの気持ちがないとできないので、終わったあとくたくたになっちゃうんですけど、充実感がある。相手が変わっていきますからね。特に学生のコンサルティングでは。
廿 それは、彼らが就職活動をしているまっただ中の時期なんですか?
奥山 いや、私が担当していたのは3年生でした。1対1で対面でコンサルして、それを月1回ぐらい続けていくんですね。半年たつと、劇的に意識が変わっていくのが手に取るようにわかるんです。おこがましいかもしれないけど、育てている感じがあるんですよ。
廿 いいお仕事なんですね。うちは長女が不登校なもので、長女も私もカウンセリングに通ってるんですけど、つらかったときはあれでずいぶん救われました。
奥山 そうですよね。私も十数年つきあっている臨床心理士の友人がいて、彼女にもすごく支えてもらいました。会社が不安定だし、子供は小さくて手が掛かる時期だし、1カ月に1回ぐらいカウンセリングを受けてたんですね。3年ぐらい受けてたかな。
それでカウンセリングの素晴らしさを自分自身が体験していたので、自分がある程度の年齢になったら、人に返していきたいなという気持ちもあったから、キャリア・コンサルタントをやり始めたんです。
廿 いろいろなものがつながってらっしゃるわけですね。
奥山 そうですね。偶然なんですけど、「偶然」ってその人の意識とか行動によって「必然」になるので。私はたぶん、招かれてそうなっていったという気持ちは強いんですね。試練はそれなりにあったんだけど、神様は乗り越えられないほどの試練は与えなかった。
廿 それ、よく聞きますけどホントかなーというのが、今の気分です(笑)。
奥山 私も当時はどっぷりで、とてもそうは思えませんでしたけど。振り返ると、そんな感じがしますね。
廿 今が一番安定してらっしゃるという感じですか?
奥山 そうですね、今は経営的に年間の数字が見えてるので。うちは、シンクタンクを通して行政系の仕事をいただくことが多いんです。だから年度初めにほとんど年間の仕事が決まっちゃうんです。ありがたいことなんですよ。
廿 うらやましすぎる…。
廿 やっぱり雇われに行くかなあ。私には会社を経営するのは無理っぽいです。
奥山 会社の起こし方もいろいろありますよね。1人でやるか、従業員を雇ってやるかによっても、たぶんリスクは違うと思うんです。人を雇ってる場合は、金銭的にリスクは多いけど、自分に何かあったとき代替でやってくれる人がいる安心感はありますね。ある程度の規模の仕事が来ても請けられるし。
1人だと、健康管理とか、仕事が重なったときにどうするかっていうリスクがありますから、そのへんのところですね。
廿 このところ義父のことなどあったので、1人でやるリスクは痛感してます…。
奥山 私は3人でスタートしたんですね。1人でやろうっていう気は最初からなかったので。
廿 あ、そうなんですか。
奥山 もともと編集とか映像制作の仕事って、たくさんのプロフェッショナルな人がコラボレーションして一つのものができますよね。
だからチームで仕事をするということには一切抵抗がなかった。逆に、そうじゃないとできないという気持ち。チームでないとできないという気持ちがあったんですね。
廿 でも現実には、フリーランスの編集者、ライター、カメラマンさんとか大勢いますよね。そういう形態ではなく、最初からチームを結成しようと。
奥山 そうですね、自分だけの才能で勝負するよりは。それと、私は発想的に自分が裏方、黒子なんですよ。自分たちが作ったコンテンツであり作品であっても、そこに自分の名前が出る必要はない。
廿 ああ、なるほど。
私がライターでありテープ起こしもできると言ったところで、例えば編集プロダクションを営めるほど本づくり工程全体の知識や経験があるわけではない。紙の雑誌だったころの『月刊在宅入力者』は、自主制作のミニコミ誌だから我流でOKだっただけ。
だから、会社化するとすれば、例えばテープ起こしの請負量を単純に今より増やすということになる。その場合、私に必要なのはアシスタントであって、違う分野の専門家がコラボするようなチームは作れない。